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「夢酔独言」52

使える材料が多量にある場合

それを「なにをどう選択するか」に加えて

「なにをどう選択しないか」も同時に重要になってくるわけで。

そこにあるからと言って、なんでも突っ込めばいいわけではないのですな。

「空けておく」ことで初めて現れてくるもの

というのもあるわけです。

             林町の次兄の家のこと

88 以前、男谷で出会った際、三郎右衛門が貸した八両を返さないことで大喧嘩をして逃げ帰っていって以来、十年ばかり絶交していた二番目の兄が御代官になった。何か思ったようで「しばらく逢っていないから、近所へ来たら寄ってくれ」と手紙と金を二分送ってきた。亀沢町へ出掛けて兄嫁に話をしたら、「そのうちにでも訪ねていったらいい」と言うので、そのまま直接次兄の家へ向かった。すると色々と馳走してくれ、かれこれと話をしてきたので、久しく無沙汰だったことをあれこれ話、仲直り同様にして帰ると、後日兄の女房から自分の嫁へ礼の手紙が来ていた。
 それから、普通に訪ねていくようになったが、丁度支配が大兄の支配だった越後水原になり、国の風俗人気の事を自分に訊いてきたので、勤め向きの事など知っていることは話してやった。
 その翌年春、正月七日御用始の夜に、何者とも知らない狼藉者が侵入し、次兄の惣領忠蔵を斬り殺した。自分のところへも直ちに知らせが来たので直ぐに向かったが、すでに事切れた後だった。
 翌日、心当たりがあったので小石川にいったが、既にそいつは立ち退いてしまったらしく、そのまま帰って来た。
 そのうち、大兄を始め親戚共が来て相談し、自分に「しばらく林町にいてくれ」と言うので毎晩泊まり、昼間は用があるので家に帰っていた。その月の二十五日に検死が来て、二十九日には忠蔵の妻、それと大兄にその妻、さらに忠蔵の惣領𣬭太郎が評定所へ呼び出しになった。自分と黒部篤三郎に三男の兄が同道人になってついていったが、それからこのことで一年の内に月二度くらいづつ評定所へいくことになった。
 ある時、同所の御座敷で、大草能登守と与力神上八太郎という者が大談事になったが、同所留守居の神尾藤右衛門・御徒目付石坂清三郎・評定所同心湯場宗十郎らが中に入り、八太郎の非礼を詫びたので、大草は何も言わずに帰った。
 その一時ばかりのことだったが、御座敷中が大騒動になりいい気味であった。相士の者はみんな振り返っていた。
 この年、次の兄が越後へいくというので、留守を預かった。自分も借金の返済も終わり、少しづつ遊山を始めたが、結局は色々と馬鹿をやって金を使ってしまったので困ってしまったものの、借金はしないようにした。林町の兄が帰ってきたので、留守の間のことを書き付けて渡してやったら喜んでいた。
 さらにこの年、従弟の竹内平右衛門の娘を自分の養子に入れて、六郷忠五郎という三百俵扶持の男へ嫁にやった。忠五郎は元々自分の弟子だったが、これで縁者になった。竹内の惣領三平が御番入りをしたが、家中苦しく出勤が出来ないので、御断りを申し上げて役を引くと言うので、自分が色々工夫して翌日登城させたら大御番になった。その親父が喜んで「一生この恩は忘れない」と言ったが、後に色々自分を騙した。
 この年の暮れ、林町の松栄三郎右衛門が越後にいくとのことで、三男の正之助を心配していた。自分が意見をして供に連れていけと言ったら、その意見を聞いて連れて行くことになったので、正之助へ供先のことを色々教えた。御代官の侍は支配へいくと金になるから、その心得を言い含めてやったら喜んで、越後から帰ったら礼をすると言うので、その約束で別れた。倹見中のこともあるから、それらのことを手紙に書いて送ったが、どこでどうなったか兄がその手紙を拾って江戸へ持って帰り、大兄へ見せて自分のことを色々悪く言ったので、大兄が怒って自分を呼び出した。
 亀沢町へ行くと、「お前は何で正之助へ勝手色々と妙な知恵をつけた。なんと不埒な男だ。それに羅紗羽織など着ているが、なにをそんなに驕っている」と叱ってきたので、「正之助へ手紙を出した覚えはないし、羅紗の羽織は小高のせいで身形が悪いと融通が利かないので仕方なく着ている」と返すと、「他にも聞いたことがある。この頃は専ら吉原通いをしているそうだな。世間ではお前の年頃にはみんな止めるというのに、不届き至極だ」とさらに言ってきた。「ごもっともだが、それもまた身上の為の付き合いです」と自分が言ったら更に怒って、「なんでも俺に向かって口答えをする。親類に俺の言う事へ言い返す者は誰もいないというのに、お前一人が刃向かうのは不埒だ。今一言口にしてみろ、ただではおかぬ」と脇差しへ手を掛けて言うので、「それは兄といえども言葉が過ぎるでしょう。自分も上の御人だ。犬も朋輩、鷹も朋輩だから、そうは簡単にいかない」と自分も脇差しを手に取ると、兄嫁が間に入り、色々言って自分を手前の部屋へと連れてきた。まずは正之助の一件を片付けろ」と言うので、そのまま林町へ行って兄に会い「兄弟の情が薄いのではないか」と強談したが、「すべては貴様のことを思って大兄へ言ったのだ」と強情を張るので、役所の一番元締め太郎次を兄の側へ呼び寄せて、兄は家事不取締なのでこれまで度々結構な御役でしくじりをしたから、今の御役も務める器量がないだろうと話して聞かせ、御役を辞退するがいいと言ってやった。
 そうすると太郎次が「それはどういうことだ」と訊いてきたので、「兄が兄弟の筆跡の真偽も見分けられないとなれば、大役など勤まらないだろう」と言ってやったら、兄が怒って御用箱から自分の書いた手紙を取り出し「貴様が書いた字だ、よく見ろ」と投げて寄越した。それを手にとり、燭台の灯りを持ってこさせ、大きな声で三度繰り返して読んで兄へ返し、「よく似せましたな」と言うと、「なんだと、これでもまだかれこれ言うか」と言うので、「そこが三郎右衛門はわかっていない者だと言っているのだ。(※以下意味が解らないので原文ママ)なんと私が書た物なら読内に言語がすみはしますまい(※ここまで)。大勢の部下を使うものがこのくらいのことに気がつかないようでは、重要な御役はできないでしょう。親類共は自分が不勤だからと馬鹿にしますが、天下の評定所で筋違いの不礼を正す者はこれまで聞いたことが無い。真偽も知らない兄を持ったのは自分の不祥です」と言い放ったら、その場の誰も一言すら口にできなくなった。兄が「これは偽物に違いない。自分が間違った」と言うので、「それならば大兄へ手紙を出して、そのように申し上げて下され」と言ったら、「手紙は出すから、返事が来るまで待っていろ」とのことなので、返事が来るまで待って家へ帰った。その時、甥達は脇差しを差して次の間に残らず詰めかけていたから、帰り掛けに「お前達が先だっての狼藉の時、その通りの心掛けをしていたら、忠蔵はむざむざ殺されなかったものを。その時は逃げて、伯父のことを取り巻くとは馬鹿にも程があるものだ。が、御親父様の子供への御教授感心した」と言って笑って帰って来たが、家中が悔しがったと後から聞いたよ。
89 それから後は大兄も林町の兄も自分に注意して少しも関わってこなくなったので、いろいろ馬鹿騒ぎをしながら日を送った。ある時、林町の正之助がやってきて色々兄の話をしたので、揚代滞にして六両金を出して借り、宅へ林町の用人を連れて行って、方をかいてやったら(?)、兄が怒ってやかましくいっていると、兄嫁が自分に話しにきたのを色々とはぐらかし、そのことは済んだ。自分も三・四年は大いに気が弛んで吉原にばかり通っていたが、とうとう地回りの悪輩共を手下に付けてしまったので、一人も自分に刃向かう者もいなくなった。その代わり金もかなり使ったが、みな自分の働きで借金にならないようにした。道具の市へは一晩でも欠かさないように儲けていたが、それでも足りなかった。

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